2013.07.11 07:53:11
橘高さま(繊維1期)より、写真とコメントのご投稿いただきました。
前回までの投稿で、創部当時の経緯から大阪大会の参加前のことを述べて来ましたが
今回は大阪大会参加時の小生の記憶に残っているエピソードを書き連ねてみたいと思います。
エピソード(1)
第45回が初参加ですが、初戦は当時ベスト8の常連高の大阪工業大学附属高校と
対戦することになったのですが、何しろ我が高は初参加で全くの無名高ですから、
放課後のある日食堂前の土手の上に4~5名の他校の生徒が、立っていました。
工大高の偵察だと判っていましたが構わずいつも通りの練習を続けて居たところ
10分程度で帰って行きました。
恐らく余りのお粗末ぶりに呆れて安心して、帰って行ってのだろうと記憶しております。
エピソード(2)
大阪大会用のユニフォームを作って頂いたのですが、綿織物のユニフォームが通常の素材ですが、
どうゆう経緯か判りませんが、毛織物のもので、素人目にも高級感のあるものでした。
それを着て藤井寺球場での開会式に参加した訳ですが、球場外で待機していたところ
高校生らしからぬ大柄な男が、近づいて来て「ええユニフォーム着とるやんけ」と
言ってのっしのっしと自高の列に戻って行きました。小生は知らなかったのですが、
誰かが、大阪学院高校の江夏豊やと言ったので、あああれが江夏かと思いましたが、
後年阪神などで一世を風靡することになるとは、考えても見ませんでした。
エピソード(3)
先に述べました通り初戦の相手は工大高で結果17対4で7回コールド負けしたわけですが
5回表で10対0で大会規定では5回コールド負けになるところだってのですが、
どう間違えたのか5回裏に4点を取って、5回コールド負けを免れた訳ですが、
更に6、7回で7点取られ、結局7回コールド負けとなったのですが、余りの大敗に涙も
出ませんでした。このように私達のいたころの野球部は、今思うと恥かしながら草野球に
毛が生えた程度だったのですが、大阪大会の3戦とも完封負けが無いことと、
46回大会では1勝出来たことはささやかな誇りとして残っています。