大阪繊維工業高校に1964(昭和39)年から1969(昭和44)年まで在職した久原(くはら)秀夫と申します。
わずか5年の在職でしたので私を知る秀麗会員の方々も少なく、秀麗会近況報告に
投稿するのはおこがましいとも思いましたが、私も齢80を超え、数年前より療養中の身であり
余命幾許もない状況ですので、この場を借りて一言、皆様に御挨拶申し上げたいと思い
投稿させていただくことにしました。
私が本校を離れて、この3月で50年の歳月が流れたことになります。
私は本校退職後、宮崎県都城市にある都城工業高専に7年、
熊本県八代市にある八代工業高専(現 熊本高専八代キャンパス)に
定年まで23年勤務し、一貫して電気工学・電子工学教育に携わってきました。
三十数年に及ぶ教職生活を振り返るとき、自分の教員としての原点は本校にあったと
つくづく感じております。
九州工業大学の先輩でもあった当時の村上校長先生は、教員としても人間としても
未熟だった私を寛大なお心でお導きくださり感謝の気持ちでいっぱいです。
また、当時、ともに教鞭をとった同僚の先生方にも、いろいろと御迷惑をおかけしたことも
あったかと存じますが、今となってはお許しいただけるでしょうか。
繊維1期の橘高様が秀麗会ホームページに御投稿された御写真を拝見し、
当時のことを懐かしく思い出しました。ほんの短い期間でしたが
本校と御縁があってほんとうによかったと思います。
早稲田摂陵高校ホームページで校歌を聴くことができ、
私も時々聴いております。歌詞の「繊維工高」の部分が「早稲田摂陵」に変更されたのみ、
メロディーは当時のままで、ともすれば気が沈みがちな療養生活に希望と活力を与えてくれます。
「産業の国に未来あり」で始まる三番が歌われなくなったのは、
長年、工業教育に携わった者として少し寂しい気も致しますが、
工業高校から普通科高校に改組されたことに対応したものであろうと受け止めております。
拙文にお付き合いいただきありがとうございました。
卒業生の皆様、現職及びこれまでに在職された教職員の皆様の御健康と
ますますの御活躍を祈りつつ筆を置きます。
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